昔の火縄銃というのはどのくらいの威力があったんでしょうか?
有効射程はさほどでもなかった。
当時の教本には「相手の白目が見えてから撃て」とまで書かれてるくらい
(新兵はついつい早撃ちしすぎるというのは今でも一緒だが)。
だが威力のほうはけっこうあった。
前線で戦う人間向けの、皮革や薄い鉄板で出来た鎧では防御は不可能。
資料館あたりをきっちり回って調べてみれば、
ぽっかり貫通孔があいた鎧なんかはすぐに見つかる。
もちろん防御法がなかったわけではなく、竹束とかいろいろテはあった。
徳川家康なんかは流れ弾を恐れてのことか、「対火縄銃用鎧」なんてのを作らせてる。
50発以上の火縄銃射撃に耐えた、とか。
まあ、そんなの着てたらいくら運動神経万能で鳴らした家康でも動けなかっただろうけど。
戊辰戦争で使用されたガトリングガンは戦後どうなったのですか
人道上認められない兵器として非難されましたが、南北戦争で北軍が採用しました。
リッチモンド攻略戦でその真価が発揮され、戦後こぞって各国が買い集め、英国、
ロシア、清朝でも採用されて、清朝では国産化まで行われています。
戊辰戦争のガトリング砲は、長岡藩が採用しましたが、破壊されたはずです。
明治に入って、明治7年4月に北海道開拓使がアメリカにガトリング機関砲二門を
購入し、8月にはグラント大統領から皇室に一門が献上されています。
これは、明治天皇に浜離宮で天覧に供され、天皇は射撃まで見学されたそうです。
暫くガトリングは鳴りを潜めますが、明治18年5月に陸軍が試験用に一門購入し、
日清戦争で清国軍より多数のガトリング機関砲を鹵獲して、陸軍ではこれを要塞
臨時防御用に使用したこともありましたが、既に兵器としては旧式化しており、間もなく退役したようです。
(20:眠い人 ◆ikaJHtf2)
江戸時代の銃で、ドンドル式連発銃ってあるのですが、具体的にどういう仕組みの銃なんですか?
ドンドル銃とは、火縄銃や火打銃と違って、現在の銃の様に引き金で雷管を打つ銃だそうです。
幕末、人気があったというミニエー銃について教えてください。
ミニエー銃はミニエー大尉が考案した「ミニエー弾」を使う銃の総称で、
銃自体もオランダ製、アメリカ製、イギリス製などがありました。
慶応2年以後はアメリカ製の比率が高くなります。
オランダ製の口径は16ミリで四条のライフル。アメリカ製は14.5ミリで三条のライフルを有していました。
スナイドル銃やアルビニー銃はそのミニエー銃を後装式に改造したもので、後装ミニエー銃とも呼ばれます。
戊辰戦争では両陣営で使用されましたが、佐幕派は前装式、討幕派は後装式が主力となりました。
蛇足ながら、ゲベール銃のゲベールは元々オランダ語の「小銃」という意味でしたが、
何故か誤って伝えられ、洋式の銃をゲベール銃と総称するようになりました。
(27:眠い人 ◆ikaJHtf2)
火縄銃(戦国時代)の威力ってどれほどだったんでしょう。
実験では19世紀初頭の標準的な火縄銃で、有効射程は50~100メートル。
貫通力は3~4ミリの鉄板を貫通するくらいとありました。
ただ、有効射程に関しては色々な口径やら火薬量によってもが違いがあるので一概には言えません。
あくまでも標準的なものとお考え下さい。
(27:眠い人 ◆ikaJHtf2)
マスケット銃と火縄銃て、同じ物なんですか?
正確であり、間違いでもあるにゃ。
火縄銃は火縄式の点火機構を持つ銃の総称。
マスケット銃は元は城塞防衛用の大型の銃器で、
そこから転じてピストルより大きい銃床付きの銃の総称になったにゃ。
(29:艤装官にゃ。◆Bzr3neko)
一応村田銃が三八の元になったのでは?
ちゃいます。
三八式は三十年式小銃がベースですが、これはモーゼルGew88小銃を参考に有坂中佐が開発したもの。
装弾機構やボルト形状が違うので元とはいえないです。
元が威嚇用に鉄はう(?)ってのを使ってたけど、世界初の火縄銃は何世紀頃にどこの国で造られたんですか?
至正11年(1351年)の銘がある銅の筒が発見されとります。
竹製の筒(射程4m)はもうすこし前からあったようです。
竹製の方はおもちゃの打ち上げ花火を水平に撃つようなモノでしょう。
現存している最古といわれる銅銃には、明の洪武五年(1372)在銘の手銃や
北ドイツのタンネンベルク銃筒(1399)などがあります。
これらは銃筒上部の火皿に手で火をあてがい着火する物でした。
火縄による撃発装置が組み込まれた銃のはっきりした発明者や場所はわかりませんが、
1450~70年のあたりのようです。
これらは北欧ではマスケット、南欧ではアルケビュースと呼ばれました。
ちなみにホイールロック式(100円ライターみたいな着火方式)の銃は
1515年ドイツのニュールンベルグで、フリントロック式は
1648年にフランスで発明されたと言われています。
ゲベール銃とはどんな銃なのでしょうか?
火縄銃の発射装置を火打石式にしたものですね。
火縄銃とくらべて、雨天時の射撃性能は向上したようですが、それ以外は火縄銃と同じく先込め式のため連射性に難があり、
ライフリングもないため命中精度でも優位に立てるものではなかったと記憶しております。
火縄銃の火縄を火打ち石に変えただけのもので、当時においても
まったく新兵器ではなく、輸出したヨーロッパでは30年前にすでに使用されなくなっていました。
射程距離、命中精度も火縄銃と同等です。
ゲベール銃。ふつうは、フリントロック式からコンバートされて、
パーカッションになってるオランダ・フランスの前装式の滑腔小銃の総称。
固有名詞じゃないよ。オランダ語の「小銃」が、ゲーベル。
前装式の滑腔銃は、日本ではゲーベルと呼ばれた。
フリントロック式からのコンバートは、簡単だからほとんどが改造されている。
いまは、フリント式のゲーベル銃の方が少ないので、買うんだったらこっちの方が高い。
戦国時代に使用されていた火縄銃は、M16やAK74などのライフルよりも一発の威力は上であると聞きましたが、本当ですか?
そんなことはないと思うけどなぁ。
ちょっと調べたがAk47の場合
初速=2400 fps 初活力=1598 ft. lbs
火縄銃のデータはないんで代わりに現代の.50口径前装ライフル、
黒色火薬系を使った時のデータで
初速=1399 fps 初活力=778 ft. lbs
なんて出てる。戦国時代の銃がこれより上というのは有り得ないだろう。
たぶん、威力とは人間に対するストッピングパワーの
ことを言っているんだろう。それなら、部分的には当たってる。
鉛むきだしで貫通力が弱い火縄銃弾は、体を撃ち抜けてしまうことがない。
だから弾の持つエネルギーがすべて人体に向けられる。
しかし、それはかなりの至近距離での話。
火縄銃といっても口径がピンキリ。
1分玉の4ミリ弱から、中筒の上限25匁玉=25ミリ強
まである。それより大口径は大筒になる。
戦国時代もっとも一般的に用いられたのは口径10ミリから16ミリ
くらい。初速が遅いとしても、ストッピングパワーは結構なものになるだろう。
それでも高初速・高精度の現代の銃にはとうていかなわないし、
貫通力は比較にならない。
資料がちょっと手元にないのだが、おおよその目安として
火縄銃は現代の同口径のピストル弾よりもやや劣るくらいの威力
かな。30mで鉄板2~3ミリ貫通がやっと。
距離が倍なら威力も精度も4分の1くらいに落ちる。
現代の銃はそんなに落ちないよ。
どのような人生は、 1788年に原住民のためでしたか?
そもそも、火縄銃はその構造上銃身の精度を上げることが
できない。さきっちょからポトン、と玉を落とし込まないといけないのだから、
玉の直径と銃身の口径に差が大きい。これでは精度が出しようがない。
人間大の目標に当てるには、50mでめいっぱい。
1860年登場の七連発銃・スペンサー銃は金属薬莢を用いていたのでしょうか。
スペンサー銃はリムファイア方式のスペンサー弾と呼ばれる金属薬莢です。
前装銃時代後期の短銃は、小銃と同じ口径の弾を使ったりしていたのでしょうか?
いつ頃のこと聞きたいのかわかんないけど、
南北戦争だと小銃(マスケット)で.58口径とか。
拳銃は.36口径とか.44口径とかそんな具合。
装薬の量はもちろん加減します。ていうか
紙で弾と火薬を包んだ一種の薬莢みたいの使ったり、
フラスコ(火薬いれ)から入れる場合は、適正量だけ
出てくる仕掛けがありました。
火縄銃だと、どのあたりが決定的に不利なのでしょうか。
火縄の扱いが、非常に面倒です。
雨が降ったら、湿気ったら、そして燃やしつづけること、その補充をすること。
バルカン砲って19世紀から似たような武器はあって、徳川幕府が輸入したって話を聞いたことがあるけど
上越戦争で、長岡藩が使った手回し式多銃身銃はガトリング銃です。
本来なら、M61シリーズしか、バルカン砲ではありません。
プラモデルやホチキス(日本では別の意味ですが)、セロテープや
ウォークマンと同様です。
銃の歴史について教えて下さい
1.ライフリング
2.薬莢
3.後装式(昔は前から弾を入れてましたよね?)
4.自動装填(引き金引くと薬莢が排出されて次の弾が装填される機構)
5.今の形の弾(昔の弾は球形でしたよね)
ってそれぞれいつごろ登場したのですか? またそれは誰が発明したのですか?
1. 1550年頃から有ったようです。
2. 早合を薬莢に含めるなら戦国時代。
一体式後装実包の金属製薬莢そのものは1835年フランスのルフォシュ薬莢かな。
3. 1500年代前半のHenryVIIIの時代には既にありました。
普及はしていませんが。
実包式後装銃なら1812年、ポーリーという人が特許を取っています。
4. 手回し式機関銃なら1860年の米国で作られたエイガーの"Coffee Mill"とか。
自動機関銃なら1883年のMaxim機関銃。
5. 椎の実型の実包なら、1848年プロシャのドライゼ式実包辺りかな。
(104:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
昔の先込め式の鉄砲って斜めにしたら弾がこぼれたりしなかったんですかね
火薬と弾丸を入れたあと、槊杖(さくじょう)でがんがん付き固めますので、多少のことで出てくるって事はありません。
あと弾を紙や柔らかい皮に包んで込めたりとか。
ヨーロッパだとフリントロック銃が使われてた頃には、一発分の火薬と弾を紙包みにしたペーパーカートリッジというのがあった。
包みの端を破いて火皿に点火用の火薬を盛ってから残りを銃口から注ぎ、最後に包み紙ごと弾を装填して槊杖でつき固めた。
ちなみに紙には防水用に油脂が染み込ませてあったが、これに牛や豚の油が使われているという噂が発端になって起きたのがセポイの乱。
ドラグーン(龍騎兵)の語源は何でしょうか?龍みたいに強いからとか?
竜騎兵は年代にもよるが基本的に乗馬歩兵(移動手段として馬に乗る・戦場では歩兵)でした。
1)竜騎兵の持つ銃が火を吐く竜にたとえられてドラゴンと呼ばれたから。
2)竜騎兵の原型である乗馬歩兵を育成した11世紀のフランス貴族Guillaume de Gomiecourtの異名から。
既に解答が付いているが、余談的なというか、何故銃がドラゴンに喩えられたかについても
知っておくと面白いので補足
昔の銃は使用している火薬の精度が今よりよくなく、発砲時の煙とマズルファイアが
やや大きかった(無煙火薬が発明される前は特に)ため、
銃を隊列を組んで連続で撃ち続けていると煙幕でも張ったみたいになって視界が悪くなるほどだった
それを、ドラゴンの吐く炎(と煙)に喩えてドラグーンとも呼ばれるようになったわけ
火縄銃が作れる技術があればフリントロックのマスケット銃を作るのは可能なのでしょうか?
マスケット(前装式)銃の中ではマッチロックは単純な部類に成りますので、それより複雑な構造であるフリントロック式の製造は困難です
また日本では良質なフリントが入手困難であった事もありフリントロック式は殆ど普及しませんでした
しかしながら、ごく少数ながらホイールロックまで製造が可能だった事から、不可能では無かったようです
ですから、例えば技術水準が日本の江戸時代中期以降であれば、製作は可能であった、と言えるでしょう。
(507:899:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
火縄銃って操作が多いけど、和紙等で弾と火薬をいっしょにした薬莢をつくるという発想はなかったの?
「早合」と言って弾丸と装薬を一緒に紙に包んだものがあります。
(359:595三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
前装式小銃の管打ち式のメリットorデメリットって何があるのでしょうか?
火打ち式と大して変わらない気がするのですが。
フリントロックは火打石が磨耗していたり、湿度によって割と不発する。
管打ち式はそう言うことはないので不発率が低い。
あと、火皿から火が噴かないので狙いを定めやすい。
欠点は雷汞の生産にはそれなりの化学技術が必要なのと、当時の雷汞の主成分の雷酸水銀は人体に有毒って点。
火縄銃ってどうやって縄に火をつけたんですか?火打石でもあったんでしょうか?
火縄? 松明とか携帯火種(名前忘れた)から点火してそれを銃につければいいんじゃ?
西洋の海賊には、予備として髪の毛に点火した火縄をくくりつけてた者もいるらしいが。
十七世紀の胸甲騎兵はピストルを二つ持っていたと聞いたんですが
ところで何でこの時代の銃ってにぎるところがまっすぐなんでしょう
反動とか考えると現代みたいに曲がってる方が良いと思うんですが
頬付けして構える様に成ったのは前装式のマスケットが登場してかなり経ってからです
それまでは両手で支え反動を受け流す形式が主流でした、初期には前装砲を小型化した手砲と呼ばれるものでした
ただ銃本体が大きく重くクロスボウのように頬付けして照準する事が困難だった為、初期の拳銃もこの形状を踏襲していました
これを軽量小型化したものがイタリアのピストイア地方で製造され、ピストルの語源にもなっています。
ちなみにピエトロベレッタ社はこの頃から銃器を製造している最も古い企業の一つでもあります
(515:738:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
火縄銃って、水平二連発の銃はつくられなかったんでしょうか?
二連どころか水平8連の「扇銃」なんてゲテモノまであったりする。
でも、多連装の火縄銃は
- 装填が面倒(短銃身でもメンドイのに)
- 黒色火薬を火縄で着火する方式では、全銃身にちゃんと着火される保証がない
- 重くなるので構えるのが大変(小口径(当時のね)の多連装銃を構えられる
腕力あるのなら、大口径の単装銃(いわゆる大筒)を使った方がいい)
- そもそもまっすぐ狙ったところに弾が飛んでく確率が低いものなので、
それを多連装にしたところでちゃんと弾が拡散する保証がない
といった問題があって「発想倒れ」の品というのが江戸時代になってからの
鉄砲道楽の人の研究結果。
ナイアガラの滝シャットダウン
多連装にして一度に撃つのではなく、多連装の銃身から次々と撃つ連発式に・・・
という発想もあって実際にそういうものも日本でも西洋でも作られたが、
火縄銃(というか、あの手の黒色火薬先込め銃)の発火方式だと、かなりの
確率で「発射したい銃身」以外の装薬にも火が廻って一度に全銃身が発砲して
しまうことが起きるので、やっぱり実用性が低い、という結論になった。
フス戦争の時に使用されていた鉄砲ってどんな代物なんでしょうか?
ピーシャラチってピストルの原型らしいけど、今の拳銃とは似ても似つかぬものだとか。
新紀元社「武器甲冑図鑑」に図解がある。
「手砲」と呼ばれているものだと思う。
銃身が短い筒で、その後ろに棒がついてて、この棒を持って支える。
銃身の後ろに穴があって、ここに火を差し込んで点火する。
つまりストックや引き金というものがない。
「もののけ姫」に「石火矢」という鉄砲みたいなものが出てきただろう?
あれ。
補足を加えると、クロスボウの台座に銃身を乗っけたアークウィバス、
引き金の原型みたいなものがあるサーペンタインってのも用いられた。
どれも熱した鉄や石炭を直接火門に突っ込むタッチ・ホール式で命中精度には難があったようだ。
世界最古の鉄砲はどんなものでしょうか?
1399年に破壊されたタンネンベルク要塞跡から、1849年に発掘された口径17mm程度の手砲、
通称「タンンエンベルク銃」が今の所、実物が確認されている最古の火砲。
引き金もストックもなく、片手で先端に火砲が付いた棒を支え、残りの手で火門に火種を放り込むタッチホール式の点火方式。
射程は10m先に当てられれば御の字程度。
防衛兵器としては使えるが、野戦では命中率、火種の準備の手間を考えると、とても使えなかった。
文献や記録の中まで辿ると宋代に使用された竹に火薬と金属片を仕込んで、敵に突きつけて炸裂させる突火槍ってのが知られる限りの最古の火器。
爆竹のでかい奴で、精々、敵を威嚇する程度の代物。
前装式のマスケットですが、実弾を込める場合って紙袋と一緒に込めるんですか?
ペーパーカートリッジは日本では早合(はやごう)と言い、再装填の速度を向上させるものです
通常は、発射薬を筒内に注ぎ込んだ後に弾丸を皮などのパッチに包み装填、ラミングします。
パッチとは、抜弾防止と発射ガスを気密する目的で弾丸を包むものですが
ペーパーカットリッジはこの手順を省略する為に発明されました
つまりこの紙がパッチの役割を果たす訳ですね。
(567:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
ライフル銃が出来たのっていつ頃ですか?
また、そのころのライフル銃用の弾丸は尖頭形ですか?それともマスケットなどと同じような球形ですか?
黒色火薬は燃焼すると多量の燃えカスが発生し、これが銃身内部にこびりつくと弾の装填ができなくなる。
これをクリーニングロッドで掻き取る内に銃身内にできた溝が弾道を安定させることが経験的に体得され、
後に製造時から刻まれるようになったという説もある。
弓矢の矢羽にねじりを与えると安定して飛ぶことも知られていたので、これと結びついて考えられたとも。
こうしてライフルが使われるようになったのが15世紀ごろ。
弾は当時のほかの銃と同じく球形の鉛玉だったが、ライフリングに触れなければ回転しないので銃の口径よりもやや大きい玉が使用された。
装填の時は木槌とロッドで弾を銃身内に押し込まなければならず、手間がかかった。
そのため長い間ライフルは狩猟用に使われ、戦争で使用するときは指揮官などを撃つ狙撃銃としてもっぱら用いられた。
弾が今のものに近いどんぐり型になったのは19世紀に発明されたミニエー弾のころから。
産業革命前からライフル銃は存在していたそうですけど、機械のないその頃はどうやって旋条を切っていたのでしょうか?
タガネで彫る。
今もカラシニコフを密造してるような人達はそうしてる。
そういう意味では戦国時代の技術でも充分できるが、そもそも「旋条」と言うものの有効性に
どうやって気がつくのか、という問題が。
あと、ライフリングがあると前装式の銃は装填作業がやたら面倒になる。
どんなに弾丸の飛行が安定したところで火薬に拠る射程の短さは変わらないし、そうなると
装填が面倒な分ただでさえ低い連射速度が落ちるだけだから、意味があんまりない。
中世の鉄砲は、兵の訓練こそあまり必要としないものの、弓に比べて射程が短く連射も出来ない兵器であり、だからこそ弓と併用されたそうですが、ならば鉄砲でなくとも弩で良いのではありませんか?
弩も訓練は短くて済む上、射程は短くても威力は高いはずです。射程の長い弩もあります弩より鉄砲が優れていた点があったのでしょうか?
当時矢を防げる防具はあったが鉄砲の銃撃に耐えられる物はほとんどなかった。
まあ火縄銃の場合発射できる弾丸の形状などが問題なので殺傷距離は短かった
けどよ。
威力があるといっても石弓は装填までにかかる時間が長いという問題が・・・。
あと日本のだけど
弩(ど/おおゆみとも呼ぶ)が日本に来たのは歴史的に見ると奈良時代になってから
で実際に運用されていたのは平安時代までだよ。
中世日本における弓の立ち位置は諸外国と異なり敵に接近してから放つものだった
ので装填に時間がかかり、命中率もイマイチだった上製造コストが当時としては
かかるため普及しなかった、つまり当時の日本の戦術とマッチしてなかったワケ。
「弩」に関する記述は「日本書紀」や「続 日本紀」にもある。
一方種子島で有名な火縄銃が日本に入って来たのは1543年だから大体350年
くらいの歴史の幅が出てくる。
このくらいになると戦術が進化し(戦乱の世だし)歩兵(足軽など)を使った集団戦法
も取り入れられて来る為鉄砲の「弩」に比べれば早い装填時間や威力が必要とされた。
だから日本においてはすでに「弩」が廃れほぼ忘れられた後に鉄砲が入って来た形
になるのよ。
火縄銃以前の銃器は、火種(火縄など)を手で押し付ける方式の物で命中率
が低く扱いづらい代物だった。視界の開けた大陸ならともかく日本のように
山あり谷ありといった地形では使いにくい武器だった。
原始的なグレネードランチャー(発射される弾は榴弾じゃないが)っぽい物で命中率
が低いため状況によっては味方にあたる可能性があった。
この銃器は「火銃」とか「三眼銃」とも呼ばれていた物で外見に関しては・・・・「もののけ姫」
を見てくれ。
(創作質問スレ49:663-665)
マスケット銃の頃の戦争映画など見ていると、姿も隠さず派手な制服で整列して撃ちあっていますが、本当なのでしょうか?
映画上の脚色なのでしょうか?
本当ッス。当時の銃は連射も効かず、命中率も良くなかったので、
密集隊形による同時射撃が重視されていました。
シャルンホルストの記述の中に、一斉射撃は個別射撃に勝るというものがあるそうです。
「なぜならば、同時に倒れた十人の兵隊は、
異なる場所で少しずつ倒れてゆく五十人の兵隊よりも早く、
大隊を退却に追いやることになるからだ」
マスケット銃による戦術がまだ槍兵の方形陣が主流だった頃の話です
銃器の有効な使用法が確立する以前は従来の戦術を流用していました。
(338:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
「槍兵の方形陣の流用」と言う事で、身体を隠すと言う発想がなかったのですか?
driscolブリッジの男は落ちる
もともと密集隊形には、戦術的な意味の他に、兵士の逃亡を防いだり、
仲間を身近に感じられるようにすることで、兵士の士気を高める意味があるんです。
徴兵制の国民軍が成立するまで、兵士の士気というのは基本的に低いもので、
こういう工夫が大事だったんです。
んで、当時の銃隊は一隊数百人とかいたので、全員が伏せられるというか、防護できるような
間隔の広い隊形にすると、部隊がかなりばらけてしまい統制が難しくなり、
兵士が逃亡しやすいとか、一斉射撃の号令が届かないとか、そういう事態が起こるわけです。
当時のライフリングが切ってないマスケット銃は命中率が高くなかった。
相手の黒目が見えるまでは撃つなという規則があったくらい。
しかも当時はラッパや太鼓か大声でどなるくらいしか命令伝達の手段がなかったので、ばらばらの兵士には複雑な指示を出すことができない。
よって密集隊列を組んで号令で一斉射撃をしながら前進、最後は銃剣で突撃して白兵戦というのが当時では一番効率的な戦闘法だった。
一部には猟兵といって先込め式のライフル銃を持った兵士もいたが、これはもっぱら敵の指揮官の狙撃や行軍中の敵に一発撃って逃げるといった遊撃任務に投入された。
先込め式のライフル銃は命中率は高いが再装填に時間がかかるため、上のような特殊な用途にしか使えなかったという事情もある。
ただ元込め式のライフルが使用されるようになった南北戦争あたりでも、密集隊列を組んだ射撃が使用されたために大きな犠牲を出した。
そのためこのころから塹壕からの射撃とか、小部隊による散兵戦が使われるようになっている。
前装式の銃、火縄銃やマスケット銃の銃口にマズルブレーキやフラッシュハイダーを装着しても、効果はちゃんとありますか?
効果はあります、ただし当時の黒色火薬は火薬燃焼速度が現代の発射薬に比べて遅いので
現代小銃ほど実感できる効果があるか、と言うと疑問ですが
さらに弾薬装填の邪魔になるので、消炎制退器を装備する事によるメリットも薄いかと思います
(335:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
雨天でも問題なく使える個人用火器はいつから出たんでしょうか?
火縄銃のマッチロック式小銃は湿気に弱いものですし、火打石式も湿気るとダメですよね。
弾薬を湿気から守る弾薬嚢式から発展した雷管式ピンファイア辺りから
雨天での信頼性は湿気による不発を劇的に減らしました
(333:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
雨天でも確実に発火させるには、雷管が内蔵された金属式薬莢が発明されるまで待たなければいけませんでした。
それまでの小銃では、装薬と弾を銃身に込めた後に外部から着火する必要があったので、
雨天では着火不良を起こす場合も多かったのです。
最初に金属式薬莢を採用した銃は、1858年のS&W No.1リボルバーだと言われています。
マスケット銃やミニエー銃とか昔の鉄砲って今より口径が大きいものばっかりですけど反動とかって大丈夫だったんでしょうか?
大口径克つ弾丸重量も相当ありましたが、銃本体の重量が重く
現代の大口径ライフル程反動は過大では無かったようです
理由としては、弾丸の形状が球状か椎の美のようなもので、現在主流の長弾と違い
口径の大きさに比較して弾丸重量は、寧ろ現代の小銃よりは軽いのです
ですから、空気抵抗による減速も早く、今よりも初速を重視して居る部分もありました。
(588:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
黒色火薬ってのは現代の火薬より威力が弱いから問題ない。
むしろ現代の銃並みの口径だと威力が弱過ぎて話にならないというのが実情。
例えば火縄銃で言う所の小筒、三匁級だと距離によっては鎧に弾かれる程度。
これは黒色火薬の燃焼速度が早く、燃焼ガスの力が無煙火薬以降の火薬より弱いと言う特性の為。
威力を出すには短小大口径の銃身にせざるを得なかった。
ただ、侍筒や1インチ以上の大口径の旧マスケット銃とかの反動は流石に取り扱いに困る代物。
火縄銃みたいなのは現代の防弾繊維じゃ止まらないのかな
火縄銃の初速は良いとこ400m/s前後で弾丸威力としては.45ACPとどっこいです
さらに球形で変形し易い鉛球なので防弾繊維で簡単に阻止出来ます。
(332:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
火縄銃の欠点としてフリントロックとは違い戦場での横隊の機動が不可能という指摘をがあります。これは何故なのでしょうか?
wikiだけど、
マッチロック式の場合は密集すると、隣の射手の銃の火縄から引火する危険があったのに対し、
フリントロック式は火種を使わないため射手がより密集する事が可能であるため、集団戦には効果的であり、
より実戦的であった。
火縄銃はさく杖という棒を使って火薬と弾丸を銃身の奥に押し込むそうですが、黒色火薬相手にそんな事したら圧縮した時に引火して大惨事にならないのでしょうか?
黒色火薬は、その性質上、ラマー(さく杖)によって圧縮しないと
所定の爆発力を得られず、密度は低いと弾丸威力の低下や燃焼の不安定に繋がります
また火の気の無いところで人力で圧力を掛けた程度では発火する事は殆ど有りません
ラミング(圧搾)する事は、火薬の粒の間の空気を押し出す事で、安定した燃焼を目指す目的があり
これは黒色火薬を使った前装式火砲の運用ノウハウが応用されています。
(607:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
ゲベール銃と火縄銃って何が違うんですか?
あくまで日本での区別を語るなら、発火にハンマー(撃鉄)に装着した火縄の火種を用いるのが火縄銃。
銃本体に装着した雷管を撃鉄で叩いて着火するのがゲベール銃。
ちなみに本家の「ゲベール銃」の初期には火縄ではなく火打石を使う(それ以外は基本的に火縄銃と
おんなじ)ものもあった。
尚「ゲベール銃」の「ゲベール」とはオランダ語(ドイツ語もでも同じ)の Gewehr のことで
Gewehr とはそのまんま「銃」(特に小銃を指す)の意味。
だから、「ゲベール銃」というのは訳すと「銃銃」「小銃銃」ということになるので本来の意味から
すると言葉としてはおかしい。
鉄砲隊マニアの再現演舞のニュースをみましたが、あの金属製とおもわしき火縄銃は銃刀法的にOKなんですか?
前装式の単発銃の内、江戸時代以前に製造されたものは
猟銃などとは別に、特別に所持を許可されています
これは発射後の再装填に時間が掛かるため悪用はし難いと言う事で
美術刀剣と同様に容易に登録、所持が可能となっているからです
また演舞や祭りなどでの発砲は装薬のみで発火させる空砲となっており、
したがってそれらの火縄銃は歴史的な価値も持って居る貴重な品でもあります。
(622:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
明治維新前に作られた銃(古式銃)は美術品という扱いだそうですが、つまり銃の免許なしで持てるということでしょうか。
1867年以前に作製・あるいはは日本国内に持ち込まれた銃の事を古式銃と言います。
銃の所持に免許はいりませんが銃自体は「古式銃」としての登録が必要になります。
(ただし銃の発射方法等によっては条件を満たしていても古式銃として認められない場合があります。)
実際に発砲するためには事前に公安委員会の許可が必要になる他、
射撃が許可された場所も非常に限られているようです。
信長が使っていた火縄銃と、ナポレオンあたりのフリントロック銃は命中精度や威力などに差はあったのですか?
どちらもライフルなし先込め。口径も同じくらいで、黒色火薬使用。点火方式以外は同じに見えるのですが
種子島とマスケット(フリントロック)では
フリントロックの方が不発の少なさと命中精度で有利です
ただし究極のマッチロックと言われた堺筒は前装銃の中でもトップクラスですが
また点火方式は大きく違います
種子島はマッチロックと言って火縄式で、火種が消える可能性があり
ロックタイム(引き鉄を引いてから発砲まで)が長く
マスケットのフロントロック方式はフリントとバッテリー(当て金)の摩擦で火花を飛ばして点火し
ロックタイムは比較的短いです
威力については様々な口径や弾丸重量があるので一概には言えませんが
マスケットの方が有利であったと思われます
ちなみに現代の小火器に当てはめますと其の威力はほぼ軍用拳銃(9mmPARA/.45ACP)と同等です
(316:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
火縄銃の時代に丸玉や散弾以外の弾丸(フレシットとか)が考案されたり使用されたりした事は有ったのですか?
前装銃の最後期には、銃身に旋条(ライフリング)が刻まれたものが登場しましたが
従来の球状の弾丸では、ライフリングにしっかり食い込ませようとすると大きな抵抗になり、
装填が困難に成る為、装填時にはライフリングの山より僅かに小口径の椎の実型で、
弾丸後部に窪みを設けたものが考案されました。
ミニエー大佐が発明したこの弾丸は、装填の時には抵抗が少なく発射時に
発射ガスの圧力で後部の窪み部分が広がりライフリングに食い込む事で
高い命中精度と装填のし易さを両立した画期的なミニエー弾が発明されました。
また矢状に限らず、飛礫の類を装填して装薬で飛ばす、
ブランダーバズ(ラッパ銃)というものもありました。
(627:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
近世のマスケット銃とかは、左利きの姿勢でも撃てるのでしょうか?
撃鉄が邪魔という事はありませんか?
マスケットのような火器は右利き専用で造られているものが殆どですので
左利きに対応しようとすると火皿を左側面に配置しなければいけません
また左で構えると火皿が目の前にあるので火傷の危険があります
これらの問題が解消するのは左右対称に出来る管撃ち式の撃発機構が発明されてからになります
(311:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
銃身が縦に四本並んでいる拳銃の写真を見た覚えがあります。この銃の情報を教えてもらえますか?
軍事ネタではないんでここで答えるべき質問ではないのだが。
19世紀中盤に回転弾倉式拳銃(リボルバー)が発明されるまで、多銃身化することで拳銃が連射できるように
しようとしたモデルはいくつもあった。
通常は横二つで二連発か縦横二列で四連発、もしくは銃身を円形に並べて六連発とかで、ペッパーボックスという通称で呼ばれていた。
縦四つというのは記憶にないが、おそらくはその中の一つではないかと思う。
黒色火薬で弾を発射するなんて無理ですか?
黒色火薬は、点火する前に圧搾(ラミング)する事で爆発力が増します。
最初の動画のように紙で包んだだけでは、これは伝火薬の役にしか立ちません。
通常黒色火薬を装薬にする場合砲身/銃身に火薬を充填し、弾丸や砲弾を装填する前に、
ラムロッドと呼ばれる棒を押し込んで火薬を圧搾し、最大の爆発力を得られるようにします。
この手順を怠ると、抜弾抗力に燃焼ガスの圧力が勝てずに不発となって仕舞います。
そうなると使用不能に成り、尾栓を外すか圧縮空気を送り込んで弾体を取り除く事に成ります。
(644:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
何で火縄銃に引き金があるのですか?導火線式なのに不要では?
火縄銃の撃発機構は、その原型をサーペンタインと言う、
手砲の撃発装置を発展させたものです。
それまであった、火縄銃以前の手砲は、据え置き式の火砲と同様に
導火線や、火蓋に焼いた鉄棒などを押し付けるなどして発火させ、
発砲していましたが、抱えて撃つ手砲は、火蓋方式や導火線では、
発射のタイミングを決める事が困難で命中精度が低かった事から、
考案されサーペンタインと言う発火てこ装置を、さらに改良し、
引き鉄と撃鉄が考えられました。これにより射手は照準に集中出来、
発砲のタイミングを瞬時に決める事が可能になりました。
(644:三等自営業 ◆LiXVy0DO8s)
昔のまだ計算機のない時代、名狙撃手といわれた人々は経験的にコリオリ力の計算をしていたのかね?
まともな狙撃の前提であるライフリングを施した銃の実用は、1837年のブランズウィック銃以降と考えられます。
1835年にはコリオリの力は発見されていましたから、砲撃での経験と合わせて、知識ある狙撃手は
当初からコリオリの力を意識していたかも知れません。
ただ、当時のライフル銃の精度では、前記のように、コリオリの力のよるずれが問題となるほどの
距離での狙撃は不可能だったでしょう。(ブランズウイック銃の有効射程は300m足らずと言われている)
(693:system ◆systemVXQ2)
マウザーC96のマガジンが前方にある理由とメリットデメリットは何ですか?
グリップ内にマガジンを収容する方式は、既にパテントがあってC96ではその方式を採用できずに、仕方なくああなった。
銃の重心が前にあるので跳ね上がりは抑えられる。
グリップの太さがマガジンの影響を受けないので、細くして手の小さい人でも握りやすくできた。
また通常の拳銃が8発マガジンなのに、太さを気にしなくていいので、ダブルカーラムの10発入りで装弾数も多くできた。
ただしC96は拳銃としてはデカくて重くて高価だ。
ペーター・パウル・マウザーの設計思想をぜんぜん理解しとらん。
あれはホルスター兼用ストックを使って遠距離射撃するために
ああいう設計になってる。さらに、フルオートのできるM712は
小型サブマシンガンとして使うようになっている。
歩兵用というよりカービン(騎兵銃)のミニ版という思想。
戦国時代において火縄銃が弓矢を凌駕した理由がいまいちよくわかりません。
射手の育成が楽だし威力も大きい
一方発射速度は弓に劣るし価格も高い
戦国時代の水準では併用されていたが後の銃器の進化によって弓が駆逐されたといったところか(日本はその頃鎖国してたが)
火縄銃6匁筒が1000J程度(357マグナム位)として、弓矢の威力って100J程度だから。
しかもイングランドのロングボウみたいな、100ポンド(45㎏)引きなんて余程訓練された屈強な兵にしか使えない。
要は威力が段違いだし、音による威嚇効果もある。
何より屈強な兵でなくても扱えて、威力を期待できるし、弓矢のような山なり弾道でないので狙いやすい。
もちろん発射速度や価格等の短所もあるが、雨は火縄の改良である程度克服されてる。
よく訓練された武士でなく、農民足軽でも扱えて充分な殺傷力があるのが決め手。
弓矢だと射手の技量で弾着も弾道もバラけて火力を集中できない。
銃火器にセーフティーが付くようになったのはいつ頃ですか?
遅くても16世紀半ばごろ。
戦国時代の鉄砲を撃つときに火蓋を切るって言葉があるだろ。
その火蓋自体が安全装置になってる。
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