2012年4月22日日曜日

母子分離不安・幼児教育ポータルサイト


●O市のGさん(30歳・母親)から、満1歳4か月に

なる子ども(男児)の、分離不安についての相談が

あった。

掲載許可をもらえたので、まず、それをそのまま

紹介させてもらう。

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【Gさんより、はやし浩司へ】

突然のご相談で失礼いたします。(メルマガ等は一切購読しない方針のため、申し訳ございま
せん。ホームページは普段よりよく拝見し、子育てに際し何より参考にさせていただいておりま
す。)

私共の長男(1歳4ヶ月)の分離不安のことで悩んでおります。

我が家は長男が誕生して以来、私が在宅勤務という形態での、一応の共働き家庭です。この4
月からは出勤を視野に入れ、長男を保育園に預けることとなりました。それまでは実は私の仕
事の都合上、私の実家で母子が生活し、主人は週に何度か通ってくる生活が1年以上続いて
いました。ですので、長男にとっては現在の自宅は何度か訪れたことのある家に引越しをした
ような状況です。そこへ加え、初めての集団保育ということになりました。

先週(4月第2週)から、午前のみの慣らし保育がはじまりました。案の定、本人の受けたショッ
クは相当なものだったようです。毎朝泣くのはもちろんですが、まもなく、家の中でもちょっと私
の姿が見えないと、たとえ私が声をかけながらでも、火がついたように泣き出すようになりまし
た。

それくらいなら致し方ないかとも思うのですが、しだいに寝てもさめても常に情緒不安定のよう
な状態が続き、よく寝る子だったのに近頃は昼夜を問わず睡眠中も突然泣き出して収まらな
いことが増えました。

つい先々週までは天真爛漫でやんちゃだけがとりえのような子供だったのに、人への警戒心
が顕著になり、笑顔が減り、すぐに私に抱きついてくるようになりました。私に対しても、これま
では何かできると得意げに笑顔でアピールしてきたのに、それも明らかに減ってしまいました。

実は風邪をもらってきてしまったこともあり、今週頭から保育園は欠席し、母子密着していまし
た。すると多少は元気を取り戻した気もするのですが、やはり以前の彼とは違ってしまっていま
す。主人は「それは一過性。誰しも経験することで、それがたとえ半年先でも同じこと。慣れる
もの。だったら今、ほかの子と足並みそろえさせてやるのが一番。欠席させたら彼がかわいそ
う」と考えているようですが、私にはこのまま彼の何か大事な部分が失われてしまうようで悲し
く、不安がつのります。

はやし先生の「子どもを考える」等、いくつか分離不安について触れた記事を拝読し、ますます
悩んでいます。ことの次第によっては、私の仕事を見直して保育園は見合わせもいいと思って
いますが、取り越し苦労でしょうか。またそうしたところで天真爛漫で無邪気だった彼が取り戻
せるのか、アドバイスいただけませんでしょうか。よろしくお願い申し上げます。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Gさんへ】

まず、いくつかの参考となる資料を添付します。

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【参考(1)】

●子どもが分離不安になるとき

●親子のきずなに感動した!?     

 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラム
ニストの書いたものだが、いわく、「うちの娘(3歳)をはじめて幼稚園へ連れていったときのこ
と。娘ははげしく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆の深さに感
動した」と。

そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、「親子の絆の深さ」に感動したと言うの
だ。とんでもない! ほかにもあれこれ症状が書かれていたが、それはまさしく分離不安の症
状。「別れをつらがって泣く子どもの姿」では、ない。

●分離不安は不安発作

 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。大声を
あげて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイ
ナス型)に分けて考える。

似たようなタイプの子どもに、単独では行動ができない子ども(孤立恐怖)もいるが、それはと
もかくも、分離不安の子どもは多い。4〜6歳児についていうなら、15〜20人に1人くらいの割
合で経験する。

親が子どもの見える範囲内にいるうちは、静かに落ちついている。が、親の姿が見えなくなっ
たとたん、ギャーッと、ものすごい声をはりあげて、そのあとを追いかけたりする。

●過去に何らかの事件

 原因は……、というより、分離不安の子どもをみていくと、必ずといってよいほど、そのきっか
けとなった事件が、過去にあるのがわかる。

はげしい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病気で入院したことや、置き去り、迷子を経験し
て、分離不安になった子どももいる。さらには育児拒否、冷淡、無視、親の暴力、下の子ども
が生まれたことが引き金となった例もある。

子どもの側からみて、「捨てられるのでは……」という被害妄想が、分離不安の原因と考えると
わかりやすい。無意識下で起こる現象であるため、叱ったりしても意味がない。表面的な症状
だけを見て、「集団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいるが、無理を
すればかえって症状をこじらせてしまう。

いや、実際には無理に引き離せば混乱状態になるものの、しばらくするとやがて静かに収まる
ことが多い。しかしそれで分離不安がなおるのではない。「もぐる」のである。一度キズついた
心は、そんなに簡単になおらない。この分離不安についても、そのつど繰り返し症状が表れ
る。

●鉄則は無理をしない

 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場ではやさしくていねいに
説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子
を観察すると、たいてい親のほうが短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、怒ったりしている
のがわかる。「いいかげんにしなさい」「私はもう行きますからね!」と。

こういう親子のリズムの乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます強く被害妄想をもつよう
になる。分離不安を神経症の一つに分類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。

 分離不安は4〜5歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いたように、
一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が予
定より遅くなっただけで、言いようのない不安発作に襲われます」と。姿や形を変えて、おとな
になってからも症状が表れることがある。

(付記)

●分離不安は小児うつ病?

子どもは離乳期に入ると、母親から身体的に分離し始め、父親や周囲の者との心理的つなが
りを求めるようになる。自我の芽生え、自立心、道徳的善悪の意識などがこの時期に始まる。
そしてさらに3歳前後になると、母親から心理的にも分離しようとするが、この時期に、母子の
間に問題があると、この心理的分離がスムーズにいかず、分離不安を起こすと考えられてい
る(クラウスほか)。

小児うつ病の一形態と考える学者も多い。症状がこじれると、慢性的な発熱、情緒不安症状、
さらには神経症による諸症状を示すこともある。

Hiroshi Hayashi++++++++APR.08++++++++++はやし浩司

【参考資料(2)】

子どもの心が不安定になるとき 

●情緒が不安定な子ども

 子どもの成長は、次の四つをみる。(1)精神の完成度、(2)情緒の安定度、(3)知育の発達
度、それに(4)運動能力。

このうち情緒の安定度は、子どもが肉体的に疲れていると思われるときをみて、判断する。運
動会や遠足のあと、など。そういうときでも、ぐずり、ふさぎ込み、不機嫌、無口(以上、マイナス
型)、あるいは、暴言、暴力、イライラ、激怒(以上、プラス型)がなければ、情緒が安定した子
どもとみる。子どもは、肉体的に疲れたときは、「疲れた」とは言わない。「眠い」と言う。

子どもが「疲れた」というときは、神経的な疲れを疑う。子どもはこの神経的な疲れにたいへん
弱い。それこそ日中、五〜一〇分、神経をつかっただけで、ヘトヘトに疲れてしまう。

●情緒不安とは……?

 外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という。二〜四歳の
第一反抗期、思春期の第二反抗期に、とくに子どもは動揺しやすくなる。

 その情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許さ
ない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張状
態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安
定になる。症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり(マ
イナス型)、反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。

表情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。この
タイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッスンをしよう
ね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。また集団的
な非行行動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えることもある。

●原因の多くは異常な体験

 原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多い。たとえば親自身
の情緒不安のほか、親の放任的態度、無教養で無責任な子育て、神経質な子育て、家庭騒
動、家庭不和、何らかの恐怖体験など。ある子ども(5歳男児)は、たった一度だが、祖父には
げしく叱られたのが原因で、自閉傾向(人と心が通い合わない状態)を示すようになった。また
別の子ども(三歳男児)は、母親が入院している間、祖母に預けられたことが原因で、分離不
安(親の姿が見えないと混乱状態になる)になってしまった。

 ふつう子どもの情緒不安は、神経症による症状をともなうことが多い。ここにあげた体の不調
のほか、たとえば夜驚、夢中遊行、かん黙、自閉、吃音(どもり)、髪いじり、指しゃぶり、チッ
ク、爪かみ、物かみ、疑惑症(臭いかぎ、手洗いぐせ)、かみつき、歯ぎしり、強迫傾向、潔癖
症、嫌悪症、対人恐怖症、虚言、収集癖、無関心、無感動、緩慢行動、夜尿症、頻尿症など。

●原因は、家庭に!

 子どもの情緒が不安定になると、たいていの親は原因さがしを、外の世界に求める。しかし
まず反省すべきは、家庭である。強度の過干渉(子どもにガミガミと押しつける)、過関心(子ど
もの側からみて神経質で、気が抜けない環境)、家庭不和(不安定な家庭環境、愛情不足、家
庭崩壊、暴力、虐待)、威圧的な家庭環境など。夫婦喧嘩もある一定のワク内でなされている
なら、子どもにはそれほど大きな影響を与えない。が、そのワクを越えると、大きな影響を与え
る。子どもは愛情の変化には、とくに敏感に反応する。

 子どもが小学生になったら、家庭は、「体を休め、疲れた心をいやす、いこいの場」でなけれ
ばならない。アメリカの随筆家のソロー(一八一七〜六二)も、『ビロードのクッションの上より、
カボチャの頭』と書いている。人というのは、高価なビロードのクッションの上に座るよりも、カボ
チャの頭の上に座ったほうが気が休まるという意味だが、多くの母親にはそれがわからない。
わからないまま、家庭を「しつけの場」と位置づける。

学校という「しごきの場」で、いいかげん疲れてきた子どもに対して、家の中でも「勉強しなさい」
と子どもを追いまくる。「宿題は終わったの」「テストは何点だったの」「こんなことでは、いい高
校へ入れない」と。これでは子どもの心は休まらない。

●子どもの情緒を安定させるために


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 子どもの情緒が不安定になったら、スキンシップをより濃厚にし、温かい語りかけを大切にす
る。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって情緒を不安定にする。一番よい方法は、子どもが
ひとりで誰にも干渉されず、のんびりとくつろげるような時間と場所をもてるようにすること。親
があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。

 ほかにカルシウムやマグネシウム分の多い食生活に心がける。とくにカルシウムは天然の
精神安定剤と呼ばれている。戦前までは、日本では精神安定剤として使われていた。錠剤で
与えるという方法もあるが、牛乳や煮干など、食品として与えるほうがよいことは言うまでもな
い。

なお情緒というのは一度不安定になると、その症状は数か月から数年単位で推移する。親が
あせって何とかしようと思えば思うほど、ふつう子どもの情緒は不安定になる。また一度不安
定になった心は、そんなに簡単にはなおらない。今の状態をより悪くしないことだけを考えなが
ら、子どものリズムに合わせた生活に心がける。

 (参考)

●子どもの神経症について

心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。子どもの
神経症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考える。

(1)精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状
(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩
む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反
対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。

(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、
頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発
熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で
の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと
らえて警戒する。

(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面
に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無
関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出
歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。

Hiroshi Hayashi++++++++APR.08++++++++++はやし浩司

【参考資料(3)】

子どもの情緒不安

●原因は家庭に ●神経症の原因になることが多い

子どもの情緒の安定度は、子どもが体力的に疲れていると思われるときをみると、わかる。た
とえば運動会や遠足のあとなど。そういうときでも、不安定症状(ぐずり、ふさぎ、イライラなど
の精神的動揺)がなければ、情緒の安定した子どもとみる。あるいは子どもは寝起きをみる。
不機嫌なら不機嫌でも構わないが、毎朝様子が同じというのであれば、やはり情緒が安定した
子どもとみる。

 子どもは二〜四歳の第一反抗期、思春期の第二反抗期に、特に動揺しやすいことがわかっ
ている。経験的には、乳幼児から少年少女期への移行期にあたる満四〜五歳、および小学二
〜四年生にかけて不安定になることがわかっている。この時期を中間反抗期と呼ぶ人もいる。

 情緒が不安定な子どもは、心がいつも緊張状態にある。外見にだまされてはいけない。柔和
な表情を浮かべながら、心はまったく別の方向を向いているということは、よくある。このタイプ
の子どもは、気を許さない。気を抜かない。他人の目を気にする。よい子ぶる。そういう状態の
中に、不安や心配ごとが入り込むと、それらを解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が
不安定になる。

症状としては、(1)攻撃的、暴力的になるプラス型と、(2)周囲に溶け込めず、ひきこもったり、
怠学、不登校を繰り返したりするマイナス型にわけて考える。プラス型は、ささいなことで激怒し
たり、さらに症状が進むと集団的な非行行動をとったりする。マイナス型は慢性的な下痢、腹
痛、体の不調を訴えることが多い。

 原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多い。家庭騒動や家
庭不和、恐怖体験、暴力、虐待、神経質な子育て、親の拒否的な態度など。

 子どもが情緒不安症状を示すと、親はその原因を外の世界に求めようとする。しかし原因の
第一は、家庭にあると考えて反省する。過干渉、過関心、過負担、過剰期待など。心を束縛し
ているものがあれば、解きほぐす。一番よいのは、子どもの側から見て、親の存在を感じさせ
ないほどまでに、子どもが一人になれる時間と場所を用意すること。あれこれ気をつかうの
は、かえって逆効果。あとはスキンシップを多くして、温かい家庭作りに努める。

 なお一般的には、情緒不安は神経症の原因となることが多い。強迫傾向、潔癖症、嫌悪症、
緩慢行動、恐怖症、虚言癖、収集癖、夜尿症など。症状は千差万別で定型はない。

Hiroshi Hayashi++++++++APR.08++++++++++はやし浩司

【参考資料(4)】

●子どもの情緒

【SSさんより、はやし浩司へ】

「先生、ご無沙汰しております。

以前、四歳の息子のかん黙について相談させていただきました岐阜のSSです。

現在は五歳六か月になりました。

その後、保母に「言ってごらん」等の声かけをやめてもらったところ、たった三日で彼に笑顔が
戻り、保育園へ行かないというのも治りました。

しかし、慣れるとまたしゃべらそうとしたりの繰り返しで、なかなかうまくいきません。

一度ぽつりとしゃべったのを聞いたパートの先生がうれしくて、「もっと聞かせてよ」という具合
に朝夕のあいさつを強要し、おかげでまた、登園拒否になってしまいました。

先月、口唇裂の修正手術のために二週間入院したのですが、そのことを保母が、ほかの子ど
もたちに伝えたところ、「しゃべれるようになる?」と聞かれ、「そうかもよ」と言い、子どもたちは
「手術をしたらしゃべれる」という認識となったようです。

本人もです。「手術したらしゃべれるようになるよね!」と張り切っていました。

構造的なことと精神的なものは関係ありません。もともと発語について構造的な問題はありま
せん。本人が「しゃべれる」という気持ちになって、本当に他の人としゃべれたら本当にうれしい
ことです。

でも、逆のことを考えたら・・・。

術後、「まだしゃべられないよ」、しばらくして「テープが取れたらしゃべれるよ」と。

抜糸も終わった今はもう、このことにはふれません。

でも、保育園へ行くと私も子どもたちに「しゃべれるようになった?」と聞かれるので、本人もき
っと聞かれているのだろうと思います。

三歳までの間に一〇回以上の入院(完全看護)を経験しているので、母子分離不安が強く、風
邪、入院、冬休みと続き、「保育所へ行かない!」と、かなりの抵抗をするようになりました。

毎朝、布団から出ない、服を着せる→脱ぐ、カバンの中身を出して投げる→入れるの繰りかえ
しを、一時間から二時間ほど、母子で行います。もちろん食事なんて取れません。

やってるうちに私も悲しくなり泣いたり、怒ったり。

だんだん手を上げるまでの時間も短くなってきています。

ここまでして保育園に連れて行く理由を探しても見つからないのですが、保育園に行って、私
の姿が見えなくなると朝の準備もできるし、保育園での生活も楽しんでいるそうです。

今日は服も首を通しただけの状態で、裸足で連れて行きました。

見えなければ見えないで楽しくできるのならば、一度休ませたらクセになる・・・と思って、何とか
やっていますが、毎朝保育所から一人で帰宅すると、ものすごい疲労感と脱力感に教われま
す。

いつまでつづくのか、これで本当にいいのだろうか?

以上のことを保母と懇談などで話をしても「過保護な親」のレッテルを貼られていますので、言
えば言うほど悪い方へ向いているようです。

子どもがどうこうよりも、見えない障害を解ってもらえない、障害をもっているお子さんをお持ち
の母親どうしでも、「親としゃべれるだけ、いいじゃない」と相談も聞いてもらえない。

自分自身の心の余裕の問題のような気がします。

「待つ」ことができなくなってきました。

保育園が悪いわけではなく、私と離れるのが保育園だけなので、母子分離不安だと思います。

ほか、通院や母子通園などは、自分から起きてきて、着替えもちゃんとできます。

公立の保育園をやめ、最初からやり直した方がいいのでしょうか?

強制的に分離されていたあの頃の時間に立ち戻って、徐々に手を離していく。

それも必要なのかと思ったりします。

「生きてるだけでいいじゃない」と思っていたあの頃。

病院を出て、健常者の社会で生きていくためにはそれだけではいけないようです。

精神面が置き去りのまま、就学まであと一年という中で頑張っています。

「お母さんがいなくても、全然平気でしたよ」と、保母さんは言います。

本当に平気なのだろうか。見えなくなって気持ちの切り替えがちゃんとできているのなら、保育
園をやめないほうがいいし、無理にでも連れて行けばいい。

どっちつかずの態度が一番悪いと知りつつも、迷ってばかりの毎日です。

何かアドバイスを頂けたらと思い、メールしました。

どうぞよろしくご指導ください。」

(岐阜市SSより)

++++++++++++++++++++++++++++

【はやし浩司より、SSさんへ】

 メール、ありがとうございました。

 以前いただいたメールはさておき、ここではかん黙症と分離不安を中心に考えていきます。
少しSSさんの相談の件とは離れますが、お許しください。

 かん黙も含めて、「ふつうでない(何も、どこかにふつうがあるわけではないのですが……)症
状」を子どもが見せても、まず第一に、子どもには、その自覚はないということです。自分を客
観的に見ることができないからです。だから「しゃべりなさい」「どうしてしゃべらないの」「ほかの
子は、みんなしゃべっているでしょ」式の言い方をしても、無意味だということです。

 しかしもうすぐ、子どもに自意識が育ってきます。自分の姿を、客観的に見ることができる能
力と言ってもよいでしょう。だいたい小学三、四年生ごろだと思ってください。そのころになると、
自分と他人の違いを、自分で判断できるようになります。「ぼくは、ほかの子と違うぞ」「こんなこ
とをしていると、損をするぞ」とです。

 そういう自意識が育ってくると、自分で自分をコントロールするようになります。そうなると、こ
の種の心の問題は、急速に改善します。ほとんどのかん黙症の子どもが、この時期を境に、
症状が消えるのは、そのためです。ただ、情緒不安症状(心の緊張感が取れない、取りにく
い、緊張しやすい)は、そのまま残ります。しかしこれは多かれ少なかれ、だれにでもあること
で、しかたのないことですね。

 問題は、今、そういう症状があることではなく、この時期、あれこれ無理をして、症状をこじら
せてしまうことです。かん黙児(こう診断名をつけることは許されませんが、一般論として)のば
あい、自信喪失になったり、かん黙とは別の失語症になったりすることもあります。ですから今
は、こじらせないことだけを考えて、気楽に構えてください。ここに書きましたように、時期がくれ
ばなおります。そしてその時期まで、あと三、四年です。


アカデミックテスト​​のパフォーマンスにも影響か

 そんなわけで、今、「あなたはおかしい」式のラベルを張らないこと。子どもに、わからせない
ことです。残念ながら、保育園では、ほかの子どもたちが、「しゃべれるようになる?」とか、勝
手に騒いでいるようですが、これは、少しまずいですね。保育園でも話題にしないよう、つまり
無視してくれるよう、保母さんに話してみられてはいかがでしょうか。

 育児は、そうでなくても、たいへんな重労働です。「ものすごい疲労感と脱力感に教われます」
というのは、何もSSさんだけのことではありません。いろいろな調査によっても、約七〇%強
の母親たちが、そう感じています。つまり育児というのは、もともとそういうものだという前提で
つきあうしかないようです。

 で、かん黙にせよ、分離不安にせよ、ポイントは、いかにして子どもの心の緊張感をとるかと
いうことです。それには、まず子どもを絶対的な安心感、全幅的な愛情で包むことです。「絶対
的」というのは、子どもの側からみて、「不安や疑いをいだかない」という意味です。最近の研究
では、こうした子どもの情緒の問題は、生後まもなくから乳児期の、親の接し方のどこかに問
題があったからということがわかってきました(イギリス、ボウルビー、ケンネルほか)。しかし過
去をとやかく言っても、はじまりません。

 今もそうで、子どもに示す愛情の質、とくにスキンシップの質を高めます。濃厚なスキンシップ
が効果的なことは言うまでもありません。多少の抱きグセがつくかもしれませんが、子どもが望
む間は、手をつなぐ、抱っこしてあげる、添い寝をしてあげるなど、そのつどスキンシップを農
耕にしてください。

中に「依存心がつくからダメだ」という人もいますが、スキンシップと依存心は関係ありません。
むしろスキンシップを繰りかえすことにより、ストレスが多いと出るホルモンが、抑制されること
がわかっています(マイアミ大学、T・フィールド博士ら)。さらにサイレントベビーの名づけ親で
ある、柳沢さとし氏は、こう述べています。

「母親たちは、添い寝やおんぶをしなくなった。抱きグセがつくからよくないという誤解も根強
い。(泣かない赤ちゃんの原因として)、育児ストレスが背景にあるようだ」(読売新聞)と。

 概してみても、日本人は、スキンシップの少ない民族です。ですからSSさんが、思い切ってス
キンシップを多くしても、国際標準からは、まだほど遠いほど少ないとみてよいのです。遠慮せ
ず、お子さんを抱きなさい。今しかないですよ。子どもの肌のぬくもりを感ずることができるの
は!

 「健常者」という言葉は、いやですね。日本人がアメリカ人を見て、「ガイジン」というのに似て
います。

 私の長男は、今、知的な障害者のある人たちが集まって運営する会社で、指導者としての仕
事をしています。彼が自ら選んだ仕事ですが、「みんな、まじめな人たちばかりだ。一日だっ
て、休む人はいない」と言っています。まじめにまさる美徳はありませんね。長男は、障害のあ
る人たちに、むしろいろいろなことを教えられているようです。

つまりですね、今日があり、明日があるように、一〇年後にも、二〇年後にも、「今日」はありま
す。まったく今と同じような「今日」があります。ですから、恐れないで、必要以上に心配しない
で、前に進んでください。世間の人たちは、決して冷たい人ばかりではないですよ。このマガジ
ンを読んでいる読者の方々みな、(多分)、SSさんの味方ですよ。みんなが、あなたのお子さ
んを守ります。またそういう社会を作ります。みんなで、めざそうではありませんか! 心豊か
な、弱者に温かい社会を、です!

 今日は今日で、やるべきことをやりましょう。懸命に、です。虚脱感や脱力感を覚えたら、「よ
くやった」と自分で自分をほめてあげましょう。それでいいのです。「これでいいのか?」と迷っ
たら、すかさず、「やるべきことはやった」と自分をなぐさめます。私はいつもそうしています。だ
って、先のことを悩んでも、しかたないですよね。どうせ生きていかなければならないのですか
ら……。

 あまりよい回答になっていないかもしれませんが、もしまだマガジンをお読みでないようでした
ら、ぜひ、ご購読ください。無料です。申し込みは、「はやし浩司のホームページ」から、「マガジ
ンコーナー」へ。どうぞおいでください。

 なお、勝手にメールを転載させていただくことにしましたが、どうかご了解ください。一月二六
日号に掲載させていただく予定です。つごうの悪いところがあれば、至急、お知らせください。
改めます。

(03−1−18)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【参考資料(5)】

【Q4】私(母親)が、家計を支えるため、仕事に出ることになりました。子どもがまだ2歳と1歳
なので、このまま家をあけるようになって、よいものかどうか悩んでいます。子どもと接する時
間が少なくなりますが、とくに注意したらよいことはどんなことでしょうか。私が仕事をしている
間、私の父と母が、子どものめんどうをみてくれることになっています。

【A、はやし浩司より】

 親子のふれあいは、量ではなく、質の問題です。量が多いからよいということにもなりませ
ん。また少ないから、心配ということにもなりません。以前書いた、二つの原稿を、どうか参考
にしてください。

+++++++++++++++++++++++

●愛情は、量ではなく、質

 スキンシップについて、どの程度が適量なのかという具体的な調査はない。ないが、全体とし
てみると、日本人は欧米の人とくらべても、極端に少ない。親子のみならず、夫婦、友人の間
でも少ない。日本人は肌を合わせるということについて、独特の文化をもっていて、それがこう
した違いを生みだしたとも言える。

 ただこういうことは言える。スキンシップは量ではなく、質の問題である、と。こんなことがあっ
た。その子ども(年長男児)の家庭は、母親の言葉を借りるなら、「擬似母子家庭」。父親は仕
事が忙しく、子どもと接する時間がほとんどなかった。が、その子どもには、母子家庭の子ども
に見られるような心のゆがみがほとんどなかった。で、ある日、私は母親にその秘訣を聞いて
みた。すると母親はこう教えてくれた。「夫は日曜日になると、子どもをいつも抱いています。ま
たたまに朝や夜、顔をあわせるときがあると、夫は子どもを腕に寄せ、力いっぱい抱いていま
す」と。

 もちろんベタベタのスキンシップがよいわけではない。ときどき一日中ペットの犬を胸に抱い
ている人を見かける。あのタイプの人は犬をかわいがっているというより、自分自身の情緒的
欠陥を「抱く」という行為で補っているに過ぎない。こういうのを代償的行為というが、子どもの
爪かみ、指しゃぶりと同じに考えてよい。もっとも相手が犬というペットなら、それほど弊害はな
いが、子どもだと、その弊害は子どもに表れる。精神や情緒の発育そのものが遅れることもあ
る。

 子どもをどの程度抱けばよいかという質問はよくある。しかしここにも書いたように、スキンシ
ップは質の問題。抱く側が、「愛していますよ」「安心していいのよ」という明確な意思をもって抱
くようにすればよい。またそういう意思を表示するためのスキンシップであれば、回数は多くて
もかまわない。

 なおこのスキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。「人知を超えた」というのも、少
しおおげさに聞こえるかもしれないが、私はその不思議な力に驚かされることがしばしばある。
そんなことも考えながら、子どもへのスキンシップを考えるとよい。

+++++++++++++++++++++++

●ある母親の相談

 今日、一人の母親から、こんな相談を受けた。何でも三歳になる娘が、父親になつかなくて、
困っているというのだ。「父親は、子どもが起きる前に仕事に行き、いつも子どもが寝てから、
仕事から帰ってきます。それで父子が接触する時間がないのです」と。

 しかしこの母親は、大きな誤解している。娘が父親になつかないのは、接触時間が少ないか
らだと、この母親は言う。これが誤解の第一。

 ずいぶんと前だが、私は接触時間と、子どもへの影響を調べたことがある。その結果、「愛
情は、量ではなく、質の問題である」という結論を出した。こんな例がある。

 その子ども(年中男児)は、やはり父親との接触時間がほとんどなかった。母親は、「うちは
疑似母子家庭です」と笑っていたが、そういう環境であるにもかかわらず、その子どもには、心
のゆがみが、ほとんどみられなかった。そこで母親にその秘訣(ひけつ)を聞くと、こう話してく
れた。

 「夫(父親)は、休みなど、たまに顔をあわせると、子どもを力いっぱい、抱きます。そして休
みの日などは、いつもベタベタしています」と。

 要するに子どもの側からみて、絶対的な安心感があるかどうかということ。この絶対的な安
心感があれば、子どもの心はゆがまない。「絶対的」というのは、その疑いすらいだかないとい
う意味。そういうわけで、愛情は、量ではなく、質の問題ということがわかった。

 で、冒頭の母親の話だが、子どもの様子を聞くと、こう話してくれた。

 「私のひざなら、何時間でもじっと座っているのですが、夫(父親)のひざだと、すぐ体を起こし
て逃げていきます。そこでエサで魚を釣るように、娘がほしがりそうなものを見せて、抱っこしよ
うとするのですが、それでも、うまくいきません」と。

●心を開く

 ふつう子どもがスキンシップを避けるという背景には、親か、子か、あるいは両方かもしれな
いが、たがいに心を開いていないことがある。このことがわからなければ、男女の関係を思い
浮かべてみればよい。夫婦でも、こまやかな情愛が行き交い、たがいに心を開きあっていると
きは、抱きあうと、体がしっくりとたがいになじむ。しかしそうでないときは、男の側からみると、
何かしら丸太を抱いているような感じになる。抱き心地がたいへん悪い。

 子どももそうで、たがい心を開いているときは、子どもを抱くと、子どもはそのままベッタリと親
に体をすりよせてくる。さらに心が通いあうと、呼吸のリズム、さらには心臓の鼓動のリズムま
で同調してくる。こういう状態のとき、子どもの心は、絶対的な安心感に包まれていると考えて
よい。もちろん情緒も安定している。

 が、抱いても、抱き心地が悪いとか、あるいは抱っこしても、子どもがすぐ逃げていくというの
であれば、どちらかが心を開いていないということになる。このケースのばあい、子どもが心を
開いていないということになるが、実は、その原因は、子どもにあるのではない。父親のほうに
ある。子どもが心を開けない状態を、父親自身がつくりだしている。もっとはっきり言えば、父
親が、心の開き方を知らない。子どもは、それに応じているだけ。

●原因は父親の幼児期に

 このケースでは、私はここまでしか話を聞かなかったので、これ以上のことは書けない。しか
し一般論として、こういうケースでは、父親自身の幼児期を疑ってみる。たいてい、父親自身
が、何らかの理由で、その親から、じゅうぶんな愛情を受けていないことが多い。そういう意味
で、親像というのは、親から子へと、代々、受け継がれていく。よくあるケースは、その親の親
が、昔風の権威主義的なものの考え方をしていたようなとき。

 A氏(四〇歳)の父親は、昔からの醤油屋を経営していた。祖父は、旧陸軍の少将にまでなっ
た人だった。そういう家風だから、家族の序列も、厳格だった。風呂でも、祖父が一番、ついで
父が二番、そのA氏(長男)が三番が……と。祖父はおろか、父親にさえ口答えするなどという
ことは、考えられなかったという。

 そういう家庭でA氏は、生まれ育ったから、「親子の間で、心を開きあう」ということなどという
ことは、ありえなかった。この話を私がA氏に話したときも、A氏は、「心を開く」という意味すら
理解できなかった。そればかりか、自分自身も、そういう権威主義的なものの考え方にどっぷ
りとつかっていて、「父親には、父親としてのデンとした権威が必要でではないでしょうか」など
と、私に言ったりした。


外国語の習得に不安の影響

 たしかに権威主義は、「家」の秩序を守るには、たいへんうまく機能する。しかし「人間」を考
えると、権威主義は、弊害になることはあっても、利点は何もない。

 だからA氏の子育ては、いつもギクシャクしていた。A氏の妻が、現代的な女性で、権威を認
めないような人だったから、ときどき夫婦ではげしく対立したこともある。A氏は家事はもちろん
のこと、子どもの世話も、まったくといってよいほどしなかった。子どもの運動会や遊戯会、さら
には父親参観会にも、一度も顔を出したことがない。それはA氏の体にしみこんだ「質」のよう
なものだった。「父親がそんなことするものではない」という意識があったのかもしれない。い
や、その意識以前に、そういう親像そのものが、頭の中になかった。

●親像がない?

 これは私の推察だが、冒頭にあげた父親にしても、父親としての親像の入っていない親とみ
てよい。不幸にして、不幸な家庭に育ったのかもしれない。あるいは今の年代の親の親たち
は、日本がちょうど高度成長期を迎え、だれもかれもが、仕事、仕事で、子育てなどかまってい
るヒマさえなかった。そういうことがあったのかもしれない。ともかくも、親像がないため、どうし
ても子育てが、ギクシャクしてくる。(これとは反対に、自然な形で親像が入っている親は、これ
また自然な形で子育てができる。)

 こういうケースでは、「子どもが親になつかない」という視点で考えるのではなく、親自身が、
子どもに対して、いかにして心を開くかという視点で、問題を考える。とくにここに書いたように、
心のどこかで権威主義的なものの考え方をする人は、つい「親に向かって」とか、「私は親だ」
という親意識を出してしまう。その親意識が、子どもの心を閉ざしてしまう。

 ……と書いても、この問題の根は深い。本当に深い。日本人が、民族の基盤としてもってい
る土台にまで、その根がおよんでいる。だから、そんなに簡単にはなおらない。「では明日か
ら、権威主義を捨て、対等の立場で、子どもには心を開きます」とは、いかない。私もその母親
と別れるとき、一応言うべきことは言ったが、内心では、「むずかしいだろうな」と思った。ただ
最後にこう言った。「今度、父親を相手にした講演会で、そういう話をしてください」と。

+++++++++++++++++++++++++

 お子さんは2歳のお子さんについては、人見知りの時期も過ぎているので、心配はないと思
います。しかし、1歳のお子さんについては、私はまだ、母親の温もりが重要な時期だと思いま
すので、働きに行くにしても、慎重にしたらよいかと思います。WHOも認めているように、満2
歳までは、親が、親の手で子どもを育てるのが望ましいことは、言うまでもありません。

 そこでどうしても働きに行くということであれば、子どもの側からみて、絶対的な安心感を覚え
られるような環境づくりを大切にします。「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味で
す。安定した、穏やかな家庭環境を何よりも大切にします。あなたの夫や、両親の理解が、不
可欠なことは言うまでもありません。コツは、「母親が急にいなくなった」というような不安感を、
子どもに与えないようにすることです。

 子どもが不安にならなければよいのですが、無理をすれば、母子分離不安になったり、それ
が原因で、将来にわたって、「基底不安」を、子どもが覚えるようになるかもしれません。そうい
う心配はあります。

(基底不安の状態になると、生きザマのあらゆる部分で、不安を覚えるようになります。何をし
ても、何をしていても、不安、という状態です。それこそ、せっかくの休日に、旅行に行っても、
その旅行先で、休み明けの仕事のことを、不安に思ったりする、など。そういう人は、多いです
よ。)

 これ以上のことは私には言えませんので、ご家族の方と、よく話しあってみてください。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【参考資料(6)】

【YKさんの相談より】

 今年から、幼稚園へ通うようになりました。現在、三歳です。毎日のように、幼稚園へ行きたく
ないと、ぐずります。「ママといっしょにいたい」と言います。以前は、泣きながら幼稚園へ行きま
したが、今は、やっと泣かなくなりました。外の世界では、思ったことも、言えなく、がまんしてし
まうので、それではないかと思います。見ていると、それなりに友だちと、遊んではいますが…
…。どのように接したらよいのか、私自身もわからなくなりました。

【はやし浩司より、KYさんへ】

 こういう相談では、最悪のケースから考えていきます。それはドクターの診断に似ています。
「この病気か? でないとするなら、この病気か?」とです。

 KYさんのケースでは、いくつか、疑われます。思いついたままですが、たとえば、(1)母子分
離不安、(2)対人(集団)恐怖症、(3)強迫症など。下にお子さんがいるなら、(4)赤ちゃんが
えりによる、情緒不安や、神経症なども疑ってみます。

 いただいた文面だけでは、何とも判断しかねますが、よい方向に向っているのは事実のよう
ですから、(1)無理をしない、(2)質の高い愛情表現、(3)食生活の改善、(4)暖かい無視を
組み合わせて、対処します。

 「無理をしない」というのは、お子さんの心を大切に、という意味です。心理学(カウンセリン
グ)の世界でも、(1)自己一致、(2)肯定的尊重、(3)共感を大切にします。しかしこれは同時
に、子育ての世界でも、そのまま応用できます。

 自己一致……要するに、お子さんをだますためのウソは言わないということ。「幼稚園へ行か
ないと、先生に怒られる」式のおどしがよくないことは、言うまでもありません。

 肯定的尊重……よき聞き役になれということです。そしてお子さんが何を言っても、「そうね」
「ママもそう思うわ」と、お子さんの心をくみあげてやります。

 共感……お子さんの立場で、考えてあげるということです。「幼稚園へ行きなさい!」と突き放
すのではなく、「毎日、たいへんね」と、ねぎらってあげます。

 つぎに「質の高い愛情表現」ですが、お子さんが求めてきたときには、濃密なスキンシップで
こたえてあげます。ぐいと力強く抱くなどが、効果的です。お子さんに、安心感を覚えさせるよう
にするのが、コツです。

 「食生活の改善」は、お子さんの心がどこか不安定になったら、CA、MGの多い食生活にこ
ころがけます。海産物、魚類がよいことは、言うまでもありません。同時に、甘い食品を一掃し
ます。

 最後に「暖かい無視」ですが、幼稚園から帰ってきたら、こまごまとしたことは言わないで、お
子さんの側から見て、くつろげる家庭環境を用意します。とくに神経疲れを起こしているような
ら、家の中では、ゆるめます。多少生活態度がぞんざいになっても、「ああ、うちの子は、外の
世界でがんばっている」と思いなおすようにします。

 ここに「神経症のチェックシート」を同封しておきますので、一度、家庭で、自己診断してみてく
ださい。得点が平均点より、高いようでしたら、ここに書いたことを参考にしてみてください。し
かし平均点より下ということであれば、今のところ、心の問題はないものと思われますから、お
子さんを暖かく見守る程度で、よいかと思います。

 いくつか参考にしていただけそうな原稿を、ここにはりつけておきます。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【参考資料(7)】

【掲示板の投稿より】

息子が、小学校に入学してからそろそろ2ヶ月になりますが、ひとりで(友達がいても)、私が玄
関まで送っていかないと、学校へ行けません。

玄関で私の手を握ってなかなか離れないこともあります。しばらくは仕方ない事と思って続けて
きましたが、まわりの子供たち(同級生)が、羨(うらや)ましがっています。

今朝、玄関で同じクラスの子が、「ウチのお母さんは来ないもん」と言って、玄関の戸を押さえ、
私を外へ出さないようにしていました。

もう一人の子がそれをやめさせようとして、その子とケンカになりそうになったんです。

長女は「ママ早く来て」と泣きそうな顔で見ていました。このまま私が付いていけば、友達とも仲
良くできなくなるのでは?と。でもいっしょに行かなければ学校へは行けないし、どうすればい
いのか困っています(Yより)。 

+++++++++++++++++++++++++

【はやし浩司より】

 軽い母子分離不安かと思われます。無理をしてもいけないので、自然体で、対処するしかな
いようです。

 ただ相談の内容とは別に、私には、ほほえましい光景が浮かんできます。「うちの息子たちも
そうだったなあ」と、です。

 「ああいう楽しいときは、どこへ消えてしまったのだろう?」と思うときさえあります。そのとき
は、何かと問題があるように思われ、あれこれ四苦八苦したものですが、子育ても終わってみ
ると、そういう光景が、たまらなく、いとおしく思われてきます。

 母親として、負担が大きいようであれば、少しずつ手を抜いていくという方法もありますし、ま
あ、あまりおおげさに考えないほうが、よいのではないかと思います。

 子どもが学校へ入学すると、親も、何かにつけ神経質になります。今のあなたが、そうかもし
れませんが、少し、子どもから目をそらすということも考えてみてください。あまり深く意味を考
えないで、それが儀式になっているなら、そのままつづけても、さほど、問題はありません。

 私も職場に行くときは、必ず、ワイフが玄関先まで出てきます。夫妻分離不安?……というよ
り習慣的な儀式になっています。今では、ほとんど意味はありません。たまにワイフが玄関先
まで出てこないときもありますが、そういうときは、多少、気分が落ちつかないということはあり
ます。

 しかし外へ出て数分もしれば、忘れます。

 今は、そういう楽しい思い出をたくさん充電しておいてください。ついでに写真でもとってあげ
たらいいですよ。やがて、生意気な子どもになりますから、そのとき、「あなたね、偉そうなこと
を言うけど、1年生のとき、ママのそばから離れなかったのよ」とか何とか、言って、そのとき、
からかってあげなさい。

 私の書いた原稿を、1作、添付します。

++++++++++++++++++++++++++

●子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそん
な年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の
腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ
をしめてやったとき。

そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、
ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちの
ために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそう
だから」と。

その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもという
よりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ
る。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてや
ればよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そ
していつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。


 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかっ
た。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。

うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手
なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭
い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ
ういう三男を、横からからかう。

そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわからなかった。その「何でもな
い」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 

子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいな
あ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レ
ストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たち
も、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、
何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が
人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やが
てくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 

++++++++++++++++++++++

 あなたも、今をもっと、楽しんでください。子育ては、すばらしいですよ!!

 では!

++++++++++++++++++++++

【参考資料(8)】

【子どもを愛せない親たち】

 その一方で、子どもを愛せない親がいる。全体の10%前後が、そうであるとみてよい。

 なぜ、子どもを愛することができないか。大きくわけけて、その理由は、二つある。

 一つは、自分自身の乳幼児期に原因があるケース。もう一つは、妊娠、出産に際して、大き
なわだかまり(固着)をもったケース。しかし後者のケースも、つきつめれば、前者のケースに
集約される。

 乳児には、「あと追い、人見知り」と言われるよく知られた現象がある。生後5〜7か月くらい
から始まって、満1歳半くらいまでの間、それがつづく。

 ボウルビーという学者は、こうした現象が起きれば、母子関係は、健全であると判断してよい
と書いている。言いかえると、「あと追い、人見知り」がないというのは、乳児のばあい、好まし
いことではない。

 子どもは、絶対的な安心感の中で、心をはぐくむ。その安心感を与えるのは、母親の役目だ
が、この安心感があってはじめて、子どもは、他者との信頼関係(安全感)を、結ぶことができ
るようになる。

 「あと追い、人見知り」は、その安心感を確実なものにするための、子どもが親に働きかけ
る、無意識下の行動と考えることができる。

 で、この母子との間にできた基本的信頼関係が、やがて応用される形で、先生との関係、友
人との関係へと、広がっていく。

 そしてそれが恋愛中には、異性との関係、さらには配偶者や、生まれてきた子どもとの関係
へと、応用されていく。そういう意味で、「基本的(=土台)」という言葉を使う。

 子どもを愛せない親は、その基本的信頼関係に問題があるとみる。その信頼関係がしっかり
していれば、仮に妊娠、出産に際して、大きなわだかまりがあっても、それを乗りこえることが
できる。そういう意味で、ここで、私は「しかし後者のケースも、つきつめれば、前者のケースに
集約される」と書いた。

 では、どうするか?

 子どもを愛せないなら、愛せないでよいと、居なおること。自分を責めてはいけない。ただ、一
度は、自分の生い立ちの状況を、冷静にみてみる必要はある。そういう状況がわかれば、あな
たは、あなた自身を許すことができるはず。

 問題は、そうした問題があることではなく、そうした問題があることに気づかないまま、その問
題に引き回されること。同じ失敗を繰りかえすこと。

 しかしあなた自身の過去に問題があることがわかれば、あなたは自分の心をコントロールす
ることができるようになる。そしてあとは、時間を待つ。

 この問題は、あとは時間が解決してくれる。5年とか、10年とか、そういう時間はかかるが、
必ず、解決してくれる。あせる必要はないし、あせってみたところで、どうにもならない。

【この時期の乳児への対処のし方】

 母子関係をしっかりしたものにするために、つぎのことに心がけたらよい。

(1)決して怒鳴ったり、暴力を振るったりしてはいけない。恐怖心や、畏怖心を子どもに与えて
はならない。

(2)つねに「ほどよい親」であることに、心がけること。やりすぎず、しかし子どもがそれを求め
てきたときには、ていねいに、かつこまめに応じてあげること。『求めてきたときが、与えどき』と
覚えておくとよい。

(3)いつも子どもの心を知るようにする。泣いたり、叫んだりするときも、その理由をさぐる。
『子どもの行動には、すべて理由がある』と心得ること。親の判断だけで、「わがまま」とか、決
めてかかってはいけない。叱ってはいけない。

 とくに生後直後から、「あと追い、人見知り」が起きるまでは、慎重に子育てをすること。この
時期の育て方に失敗すると、子どもの情緒は、きわめて不安定になる。そして一度、この時期
に不安定になると、その後遺症は、ほぼ、一生、残る。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【はやし浩司より、O市のGさんへ】

 以上、今まで書いた原稿の中から、いくつかを選んでみました。どうか、参考にしてください。

 この中にも書いたように、母子分離不安を、(1)小児うつ病の一様態ととらえる学者もいま
す。ですから、けっして、安易に考えないこと。「集団に慣れさせること」で、「治る」というような
問題ではありません。

 無理に集団生活の中に放り込めば、表面的には、症状は消えたかのように見えますが、「消
えた」のではなく、「潜った」とみます。また場面が変われば再発しますし、とても残念なことです
が、「根」は、生涯にわたって残ります。

 さらに対処のし方が悪いと、一義的には、神経症などの諸症状、かんしゃく発作、さらには情
緒不安、情緒障害の引き金を引くこともあります。くりかえしますが、決して、安易に考えてはい
けません。満1歳4か月という年齢は、そういう年齢です。

 (一般的には、満1歳半〜2歳までが、とくに重要な時期と言われています。「後追い、人見知
り」についても、生後半年前後から、満1歳半前後までつづくことが知られています。この時期、
乳幼児は、濃密な母子関係を通して、基本的信頼関係の基礎をつくります。)

 では、どうするか?

(1)「求めてきたときが与えどき」と考えます。

 子どもの方から、スキンシップを求めるなど、何かのアクションがあったら、すかさず、(間髪
を入れず)、抱いてあげます。「あとでね……」「忙しいから……」という言葉は、タブーです。

 抱いてあげると、ほんの短い時間で満足しますので、子どものほうが体を放すしぐさを見せた
ら、そっと放してあげます。(たいてい数秒ですみます。)

(2)「治す」「直す」と考えるのではなく、「忘れさせる」ことを大切に

 この問題は、「時期がくれば治る」という問題ではありません。先ほども書いたように、「潜る」
だけです。

 最近の研究によれば、おとなになってから(うつ病)になるケースのほとんどは、この時期の
親の対処のし方のまずさにあることがわかってきました。(今年(08年)になってから、そういう
記事を見かけました。どこかに記録したはずですが、見つかりません。またさがしておきま
す。)

 ですから、「直そう」と考えるのではなく、「忘れさせる」ことを第一に考えて、対処します。この
時期は、同じような状況を作らないことに心がけます。こじらせればこじらせるほど、あとあと、
心のキズ(=トラウマ)が深くなります。

(3)「今よりも悪くしないことだけを考えながら、半年単位で、様子をみる」です。

 年齢からして、あせって集団生活の中に、子どもを放り込むような乱暴なことをすれば、かえ
って症状は重くなります。

 子どもの心は、ある意味ではタフですが、こと、愛情問題がからむと、きわめてデリケートな
反応を示します。たった1〜2日、母親から離されたことが原因で、母子分離不安になってしま
った子ども(1歳・男児)もいます。

 仕事の問題は、私には何とも言えません。お子さんの様子の程度にもよります。濃密な愛情
を注ぎ、お子さんが、安心感を覚えれば、それでよし。そうでなければ、この時期は、「無理をし
ない」を大鉄則に、考えられた方がよいかと思います。仕事の問題は、お子さんの症状に見な
がら、Gさんのご主人とよく相談して、決めてください。

 その時期は、先にも書きましたが、遅くとも満2歳までです。その前後に、子どもは、乳児期
から幼児期への脱皮をはかります。このころ、少しずつ、親のほうが、子どもの親離れを誘導
していきます。

(4)Gさんのお子さんだけではない、みな、そうです。

 といっても、母子分離不安そのものは、たいへん多く、程度の差もありますが、大部分の子ど
もが何らかの形で、経験します。「うちの子だけが……」と、深刻に悩まないこと。

 またそれだけをもって、「子育てに失敗した」とか、そんなふうに、おおげさに考えてはいけま
せん。どんな親も、こうした問題をかかえ、それを克服しながら、成長しいきます。大切なこと
は、これを機会に、子どもの心を真正面からとらえるようにすることです。それは同時に、あな
た自身の心を知る手がかりにもなります。

 また分離不安になったからといって、お子さんの天真爛漫な様子が消えるということはありま
せん。Gさんとの愛情に、安心感を覚えているときは、(=疑っていないときは)、天真爛漫な様
子を、いつでも見せてくれます。ご安心ください。

 つまりこの程度の問題は、みな、共通してかかえる問題だということです。「うちの子も、母子
分離不安になりました……」というふうに考えて、どうか前向きに対処してください。どんな子ど
もも、こうした問題を、1つや2つ、あるいは3つや4つはかかえながら、成長していきます。(同
時に、母親も成長していきます。)

 

情報・画像の出展:はやし浩司先生

※このページの文章・及び画像の著作権は「はやし浩司」様が保有しています。
当サイトでは「はやし浩司」様のご厚意により許可を得て掲載させていただいております。


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